My Days
日本のあちこちを旅しています。

彦根城(2)天守閣

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彦根城の天守閣に向かいます。

 

 

この日は、8月13日で、お盆休みだったせいか、お城に入る列が延々と続いていました。

 

 

待ち時間に撮った天守閣前から見た景色です。

 

 

 

入城するのに40分ほどかかりました。

 

 

中にはいっても、列が続き、なかなか前に進めません。

しかも暑い!(・_・;)

 

 

急な階段をのぼって最上階の展望台へ

 

上るより降りるのが怖い(^_^;)

 

 

展望台からの眺め

 

琵琶湖を一望でき、伊吹山・賤ヶ岳・小谷山なども眺めることができます。

 

 

 

佐和山城跡

 

 

時報鐘

 

お堀では、白鳥と黒鳥のペアが、仲良く泳いでいました。

 

 

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彦根城(1)天秤櫓から見る佐和山城跡

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数年ぶりに彦根に行って来ました。

 

彦根といえば、やはり彦根城ですよね。

 

 

 

天秤櫓

 

この日は、8月の猛暑日で、城内の階段をのぼるだけでもへとへと(-_-;)

 

 

 

佐和山城が見えます。

 

 

天秤櫓の中に入ってみましょう。

 

天秤櫓は、大手門と表門からの道が合流する要(かなめ)の位置に築かれた櫓です。
この櫓は、上から見ると「コ」の字形をしており、両隅に2階建ての櫓を設けて中央に門が開く構造となっています。

まるで、両端に荷物を下げた天秤のようであり、江戸時代から天秤櫓の名があります。

 

 

櫓の中からは、佐和山城跡がこのように見えます。

 

 

 

 

見事な梁

 

 

現在、この石垣が修理中です。

 

 

では、天守閣に向かって歩いて行きましょう。

 

 

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岡山城(2)
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岡山城は、慶長2年(1597)宇喜多秀家によって築城されました。

三層六階の堂々たる天守閣は織田信長の安土城天主閣を模して築かれたと伝えられ、不等辺五角形の天守台をしています。

岡山城の別名は、黒い下見板張りの外観から烏城(うじょう)と呼ばれています。

戦前、国宝であった天守閣は戦災で焼失し、現在のものは再建です。



地階から6階まであり、5〜6階が展望台になっています。

4階まではエレベーターで行けるので楽ですよ。



展望台からの眺め










展示物は、撮影OKなところとNGなところがあります。





ここでは、大名のお籠に乗って撮影ができます!





衣装体験も・・・



江戸時代の町人・商人の暮らしぶりが再現されています。











この日も朝からかなり暑く、城内のかき氷屋さんに飛び込みました。



ふわふわ白桃かき氷を注文。



白桃のシロップをかけていただきます。



こんな感じになります。

これを一気に食べて生き返りました\(^o^)/

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岡山城(1)
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岡山後楽園から岡山城へ。



















月見櫓


国の重要文化財。
元和・寛永年間(1615-1632年)に建てられたもので、現存しています。
周辺には、土塀の礎石に狭間が作られており、当時の最新式の設備と言われています。




穴蔵


表書院






料理所


八百屋(野菜置場)




不明門


不明門は、本段への入口になる門で、天守と同時に鉄筋コンクリートで復元されました。







六十一雁木上門


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今治城
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今治城に到着!

バス停からの眺めです。



今治城は、藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城で、別名吹揚城(ふきあげじょう)ともいいます。

海水が引かれた広大な堀や、城内の港として国内最大級の船入を備えた海城でしたが、明治維新後に建造物のほとんどが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなりました。

昭和28年(1953)に県指定史跡となり、昭和55年(1980)以降、主郭部跡に天守をはじめとする櫓、門などの再建が進んでいます。







鉄御門  二の丸の表門


藤堂高虎の像


お城をバックに



正面からズームにすると



この方がかっこいいかな?





天守


藤堂高虎が五重天守を創建したと伝わっています。高虎の伊賀・伊勢転封と同時に解体され、現在の天守は昭和55年(1980)に本丸北隅櫓跡に建てられた模擬天守です。

では、天守閣の中に入ってみましょう。



6階は展望台になっています。



来島海峡大橋・燧灘・石鎚連峰・市街地等を一望 できます。



櫓が見えますね。





吹揚神社




拝殿


本殿




続いて御金櫓







二の丸跡の東隅に立つ二重櫓で、昭和60年(1985)に再建されました。
内部は郷土出身作家による現代美術館になっています。





ここから見る天守閣も美しい!







山里櫓


二の丸北西隅に立つ二重櫓。平成2年(1990)に再建されました。
内部は武具や古美術品が展示されています。 

武具櫓


枡形に侵入した敵兵に対しては、門の上部を含め三方向から攻撃できる構造になっていました。
平成19年(2007)に櫓門や多聞櫓などを忠実に再現復元し、内部を公開しています。


 
櫓内の和小屋組




こんな兵士の人形もいて面白い!





ふむふむ・・・こんな風に落としていたのですね。



櫓から見た堀



櫓からの眺めもなかなかのものでした。

見事な再建ですね。

さて、駅に戻って次の目的地へと移動します。

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福山(2)福山城〜三蔵稲荷神社〜備後護国神社
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福山城は初の登城です!

まずは、駅前の石垣から・・・



1622年(元和8年)水野勝成が備後10万石の領主となって築いたお城です。
形式は輪郭式の平山城で、かつては2重の堀、五重の天守と7基の三重櫓を有する大規模な城郭であったそうです。
昭和20年8月、空襲により天守閣などは消滅しましたが、現存する伏見櫓・筋鉄御門は国の重要文化財に指定されています。



筋鉄御門



本丸の正門に位置する櫓門。「筋鉄」の名称のとおり、1階の扉や門柱に筋状の鉄板が打ち付けられています。

鏡櫓


2層2階建てで築城時に建てられたが廃城後間もなくに取り壊されました。





月見櫓


天守閣博物館






御湯殿










中の展示物は撮影禁止なので、展望台からの眺めをどうぞ!





水野勝成像


伏見櫓


慶長6年(1601年)前後に建てられたと推定される伏見城松の丸の東櫓を元和6年(1620年)に移築したもの。

阿部正弘像


福山城北側にある三蔵稲荷神社は、水野勝成が福山城を築城する時に、守護神として祀った神社です。







境内には本殿、社務所のほか能舞台があり、毎年ミス三蔵稲荷コンテストが行われることでも有名なのだそう。
まさか狐に似た美人じゃないでしょうね〜(^_^;)

備後護国神社



明治元年、福山藩主・阿部正桓が、石見益田の役と箱館戦争での戦死者の霊を祀るために、旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まり、祭神は備後国出身の護国の英霊、大彦命・武沼河別命・豊幹別命および阿部正弘をはじめとする歴代備後福山藩主。

宮本武蔵が座ったとされる腰掛石



武蔵は巌流島の決闘ののち、大坂の役において、俗説では豊臣方として参戦したとされているが、文献では徳川方である水野勝成の陣において嫡子の水野勝重付として名前が記されている。
そんな武蔵と水野家との関係を思い起こさせるのが腰掛石で伝承によれば寛永年間に武蔵が福山を訪問したとき勝成の従兄弟で水野家二番家老である中山将監の屋敷で饗宴が催され庭園で腰を掛けた石がこれであるという。(Wikipediaより)






帰りはこの急な階段を降りてホテルへ帰りました。



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萩紀行(5)萩城 東園〜毛利輝元像
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楫取素彦寄進の井戸


万歳橋の横には、1879年(明治12年)楫取素彦が寄進した井戸が残されています。

東園


東園は、萩城の北東部にある池の周囲一帯をさし、かつては藩主の遊息の庭園でした。



復元された二の丸土塀 (銃眼土塀)



鉄砲狭間があるため「銃眼土塀」と名付けられています。

ここから海に出られます。



毛利輝元像


萩城は、関ヶ原の戦いで、西軍の総大将に就いたことにより周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、
広島城に代わる新たな居城として慶長9年(1604年)に築いた城です。完工は慶長13年(1608年)。
築城者である毛利輝元は、慶長9年12月に未完成のまま入城したといいます。
 


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萩紀行(3)萩城本丸跡〜天守閣跡
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萩城は、慶長9年(1604)に毛利輝元が、指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれています。

山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていました。

明治7年(1874)、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が残されています。

本丸石垣の階段



本丸跡から見た堀





指月山



本丸跡から見る天守閣跡



天守閣跡への階段





天守閣跡から見る堀









天守閣跡から見る指月山



萩城の天守は5層5階の複合式望楼型で、高さは約21メートル、外壁は白漆喰の総塗籠で、
窓は銅板を貼った突き上げ戸を備えていたといいます。



JR東萩駅前に、萩城天守の1/6の復元模型がありました。





このようなお城であったそうです。


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姫路城(3)城内を見学
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何やら祠のようなものが飾られていましたが、反対向きに進むこと叶わずで、

正面から見ることができませんでした。



次は、お城の中に注目してみましょう。















く、暗い・・・(^_^;)



さあ、大天守閣から外に出て、次へ向かって行きます。











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小田原城(4)
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小田原城の本丸北側(御用米曲輪)から礎石建物や庭跡が見つかり、現在も発掘調査進行中です。







そして・・・天守閣の横にぽつんと建っている猿小屋



アップで撮ってみました(笑)

どうやらご機嫌斜めなようでした。



帰りは違う門を通って・・・


































前回来た時は、天守閣に上ったのみでしたが、隅々まで回ると、城の大きさが実感できます。

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