My Days
日本のあちこちを旅しています。

早稲田大学(2)大隈重信立像

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大隈庭園を見学したついでに、キャンパスを散策することに。

 

 

早稲田大学は、江戸時代末期の蘭学校である北門義塾(柳田藤吉の創設)の明治5年閉校後、その意思を受継ぎ、隣地に大隈重信が明治十四年の政変で下野した後に設立した東京専門学校を前身とし、日本の私立大学では慶應義塾大学(「早慶」の慶)などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった。
当初は、創立者・大隈重信の別邸が東京府南豊島郡早稲田村に、また、校舎が同郡戸塚村にあったことから、関係者が「早稲田学校」「戸塚学校」と言っていたが、最終的には「東京専門学校」と名付けられた。1892年頃には、専門学校の別名として、「早稲田学校」と呼ばれるようになり、以後1902年9月2日付で、専門学校から大学への昇格を機に、大隈によって代表される早稲田の地名をとり「早稲田大学」と改称した。(Wikipediaより)
大隈講堂

1927年に佐藤功一の設計で竣工した、文字どおり早稲田大学の顔として知られる建造物である。早稲田キャンパスに所在し、正式名称は「早稲田大学大隈記念講堂」。学内では「早稲田大学21号館」とも表記される。重要文化財にも指定されている建築物である。

(Wikipediaより)

大隈重信立像(朝倉文夫作)
早稲田大学早稲田キャンパスには2体の大隈像があり、有名なガウン姿の立像は昭和7年(1932年)10月17日、早稲田大学創設50周年と大隈重信10回忌を兼ねて作られた。右足を失った後の姿のものであるため、杖をついているのが特徴である。製作者である彫刻家の朝倉文夫は大隈像を3回制作しているが、この立像は2回目のもの。高さは298cmあり、大隈講堂の方向を向く形で設置されている。受験期には受験生により賽銭が供えられることも少なくない。(Wikipediaより)

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浅草寺(4)浅草の夜景

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夕方になり、再び吾妻橋からスカイツリーを眺めてみました。

 

 

周囲のビル群の灯りとともに、一大イルミネーションが見られます。

 

 

 

そして、また浅草寺に戻り

 

 

観光客が去った静かな境内を歩いてみました。

 

 

 

 

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浅草寺(2)伝法院

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伝法院通りから伝法院を目指します。

 

 

こちらの門は閉まっています。

 

 

早朝とは違って、昼間の浅草寺は混雑しています。

 

 

4月の下旬でしたので、ツツジが満開でした。

 

 

 

ここから入ります。

 

 

浅草寺の本坊で、もとは観音院、智楽院などと称しましたが、元禄年間(1688〜1704)以後この名称が付けられました。
入館料は300円で、大絵馬の展示と庭園が拝観できます。

 

まずは大絵馬を見学し、庭園に行きます。

庭園は、寛永年間(1624〜45)に小堀遠州によって築庭されたと伝えられています。

 

 

兼六園を思わせる庭園です。

 

 

ここから、スカイツリーと浅草寺の三重塔が見えるのですが、五重塔が工事中で絵になりませんでした(:_;)

 

 

 

新緑が眩しいくらい美しかったです。

 

 

藤やシャガが咲いていました。

 

 

 

 

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高野山の旅(3)宿坊初体験 宝城院

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高野山では、初の宿坊体験もしました。

 

10月に泊まったのは、根本大塔のすぐ北側にある宝城院というお寺です。

 

 

門前の紅葉が綺麗でした。

 

 

 

 

 

 

宝城院は、約870年前、後白河法皇が阿闍梨を置かれた由緒ある本山で、元閑院宮家の御菩提所もあります。

 

秘宝の弁財天は重要文化財に指定され、書院壁面大広間襖絵など見事な寺宝が保存されています。

 

 

釘隠し

 

宿坊は、大浴場への移動などに便利なエレベーターなど、近代的な設備となっていて、私が抱いていた宿坊のイメージとはかけ離れていました。

 

 

 

部屋からは根本大塔が!

 

 

夜には、根本大塔のライトアップを見ることができました。

 

 

そして、夕食の精進料理はこの通り、手の込んだお料理で、美味しくいただきました。

 

 

特に気に入ったのがこのゴマ豆腐。

 

 

デザートの柿も美味しかったですよ!

 

 

翌朝の朝食

 

炊き立てのご飯の美味しいこと!

 

量は少な目ですが、おかわり自由でした(#^.^#)

 

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高野山の旅(1)近鉄名古屋〜高野山駅

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10月の末、初めて高野山に行って来ました。

 

近鉄名古屋から近鉄特急で大阪難波まで行き、南海電鉄の南海難波へ。

 

 

こちらも真田丸に染まっていました。

 

 

南海急行で橋本駅へ。

 

 

橋本駅で、こうや花鉄道の特急「天空」に乗り換え。

 

 

くどやまの駅を通過。

 

 

こんな看板も見えましたよ!

 

 

真田幸村と十勇士です。

 

 

車窓からの景色は・・・

 

 

美しい山々や、杉の木立が続きます。

 

 

高野山の山岳区間の眺望を楽しみながら

 

 

 

極楽橋駅でケーブルに乗り換えて

 

 

高野山駅に到着です。

 

 

 

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大徳寺本坊〜井伊美術館

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大徳寺本坊では、国宝の方丈、重文の狩野探幽筆 「方丈障壁画」、国宝の唐門を見学しました。

中は撮影禁止なので、外観のみ撮影。

 

 

 

 

ランチは、八坂神社のそばにある味味香へ。

 

 

 

こちらの冷やしカレーうどんが、「秘密のケンミンSHOW」で紹介され話題になっているそうで、私たちもそれを頼んでみました。

 

 

香辛料が豊富!

 

 

大きなあぶらげに九条ネギ、温玉・・・極めてシンプルです。

 

 

麺はモチモチ、つゆはだしがよく効いています

 

この日は、暑かったので、冷たいおうどんにして正解でした。

 

その後、 井伊美術館を見学。

 

 

 

こちらは、個人の美術館で、事前予約が必要。

入場料は1500円。この門を越えたら、中は一切写真撮影はNG。

 

 

「井伊と真田と―智謀と勇略の系譜」という展示会をやっていました。

 

 

非常に貴重な品々が保管されているのですが、所狭しと足の踏み場もないくらい甲冑などが

置かれている状態で、一般的な美術館のイメージとはかけ離れていました(・_・;)

 

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木戸孝允宅跡〜山紫水明処

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「幾松」での食事の後は、以前近くまで行きながら見逃してしまった木戸孝允宅跡

 

 

木戸孝允(桂小五郎)が、近衛家の下屋敷を譲り受け、別邸とした木造二階建ての公卿屋敷で、尊皇攘夷、討幕運動の拠点としていた屋敷のひとつです。

 

 

敷地内にある達磨堂には、ありとあらゆる達磨がいっぱい(@_@;)

 

 

達磨堂には、木戸孝允の養子である木戸忠太郎が主に明治末期から昭和初期にかけてコレクションした起上がり達磨や玩具、日用品、装飾品、書画、ポスターなど達磨に関連するものが数万点納められています。

 

 

 

 

 

 

以前訪ねたのは、旅館「いしちょう」の前にある碑でした。

 

 

 

その後、頼山陽の「山紫水明処」に行きました。

 

 

山紫水明処』は、丸太町橋の北側、鴨川の西岸に面し、頼山陽の書斎兼茶室として使われた建物です。

 

頼山陽(安永9年〜天保3年・1780〜1832年)は、江戸時代後期に活躍した儒学者・詩人・歴史家です。

 

Mさんが、見学の予約をしてくれたので、中を見学させていただきましたが、撮影したものをアップしてはいけないということで、外からの一枚のみを・・・

 

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料理旅館「幾松」(2)「幾松の部屋」

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食事をとる部屋に通された後、「幾松の部屋」に通され、説明をしていただけます。

 

 

幕末当時、幾度となく当時の長州藩の尊王攘夷派の反勢力により詮議を受けたと伝えられている屋敷で、今も抜け穴、飛び穴、のぞき穴、つり天井など、当時に近い状態で保存されています。

 

当時は、不意の敵に備えて、この天井には大きな石が仕掛けられていたそうです。

 


幾松は、若狭・小浜藩士の木崎市兵衛と、医師の細川益庵の娘との間に生まれました。

 

 

しかし幼少の頃、藩内の事件から父、市兵衛が妻子を残して出奔したため、8歳の時に京都に出て、後に三本木の芸妓になりました。
文久の頃から桂小五郎とのロマンスが始まったと伝えられ、当時、反勢力より命を狙われていた小五郎を、自らの命をかけ、機転を利かせ守りました。

 

 

この長持の中に、桂小五郎を入れてかくまったこともあったそうです。

 

 

維新後、桂小五郎は木戸孝允と改名し、参議など要職を歴任、政府内の進歩派の中心として、廃藩置県、藩政奉還に尽力しました。

 

 

幾松は、山口藩士の岡部富太郎の養女となり松子と改名、正式に木戸孝允の妻となりました。

 

 

部屋には、二人にゆかりのある物や、維新の志士たちのパネル、見事な調度品が飾られています。

 

 

 

 

 

 

 

さて、この後、どんなお料理が待っているのでしょうか。

 

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料理旅館「幾松」(1)ブロ友さんとの見学

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ブログ仲間のMさんが、一度は入って見たかった料理旅館「幾松の予約を取ってくれたので、先週京都へ出かけて来ました。

 

 

 

「幾松」は、森鴎外の「高瀬舟」で有名な高瀬川に沿った木屋町筋に正面玄関があります。

 

 

「幾松」は、維新の三傑の一人である長州藩の桂小五郎(のち木戸孝允)と、三本木の芸妓幾松(のちの松子夫人)の木屋町寓居跡です。

 

 

 

京の町屋らしい鰻の寝床のような細い通路を通って行きます。

 

 

 

暖簾をくぐると、様々なオブジェが・・・

 

 

 

なぜか二宮金次郎(笑)

 

 

ここだけでも、十分楽しめます(^_^;)

 

 

ここから中に入ります。

 


鯉が泳ぐ中庭を見ながら、長細い廊下を通って進みます。

 

 

 

 

まずは、食事をとる部屋に案内されます。

 

 

落ち着いた和室です。

 

 

部屋の窓からは、鴨川に面する川床が見えます。

 

 

この後、「幾松の部屋」に案内されます。

 

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信州の旅(5)北国街道 柳町 

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旧北国街道沿いの柳町の通りには、今もなお当時の面影を残し、白い土塀に格子戸や、うだつのある家、古道具屋、杉玉のある造り酒屋などがあります。

 


 



柳の木が多かったこの通りに、当時は旅籠屋や商家が軒を連ね、呉服屋だけでも25軒あったといいます。

 



今では、蔵や長屋が、食事処やショップになっており、レトロな風情の中で、祖食事や買い物を楽しめます。

 



岡崎酒造

 



寛文5年の創業の老舗。 岡崎酒造さんの杜氏さんは、 娘さん・女性なのですよ!
店内では試飲もさせていただけます。

コラボ食堂



コラボ食堂は、ワンデイシェフのお店のことで、お店に登録した料理好きな方が日替わりで調理を担当してランチを提供するもので、一食850円で20食以上作るというもの。ここれは、新しい食のシステムですね。

そばの老舗・「おお西」



なぜか店の前に兵馬俑があります。

こちらのおそばが食べたくて、歩いて来たのですが、満員で入れず・・・残念!

 

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